私の自己紹介パート1
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さてさて、この度、ブログを公開することになりました。
私は、現在東京都某所でシステムエンジニアをして生計を立てております。
もちろん、ここで本名は、明かすことはできませんが、ここでは『あるす』と名乗っておきましょう。
実は、このあるすという名前の由来は、某格闘ゲームをゲームセンターでハマっていた時につけたリングネームです。
専用カードを登録することで、格闘ゲームの戦績をつけることができ、ネット登録もできる、当時は目新しいタイプでした。(もう最近では当たり前ですよね)
当時は、2000~2005年くらいの間でしょうか?(世代がバレますね笑)
もうほとんど毎日ゲームセンターに通い続け、意味もなく、格闘ゲームに明け暮れていたように思います。
初めは、学校の友人と一緒になって行っていましたが、友人たちがまた一人また一人と、歳を重ねるごとにゲームから卒業し、最後は学校の友人は誰もいなくなりました。
というか学校そのものを卒業していましたね。高校卒業は、なんの意味もなく大学に通いはじめます。
大学には、ただ"働きたくない"というだけで、大学に対する目的意識も全くなかったため、毎日通うことが本当にしんどくなり、徐々に休み始めます。
それでも入学してからはじめは学校の成績は良かったこともあり、学内の奨学金を頂いておりました。
嬉しい事に月2万円の返さなくても良いタイプの奨学金です。
ただ、それでもあまりにも大学に行く気がなくなり、1周間まるまる行かないことも出始めます。
こうなってしまうと、当然大学内では友人と呼べる人はいません。
なんでこんなことになってしまったんだろうと、自問自答を頭のなかで繰り返しながら、それでもゲームセンターに通い続けた私。
たぶん現実から逃避していたんだと思います。
バイトをするわけでもなく、毎日毎日大学に行く振りをしては、ゲームセンターや、コンビニで雑誌の立ち読み、中古本屋での漫画の立ち読みで過ごす日々。
親からは、交通費やお昼代など、なけなしのお金も貰っていました。
なんて親不孝者だったんだろうと、今思い返してみると、涙がでるほどです。
本当に情けないと言ったらありゃしないです。
そして、完全に世間の"通常の大学生"というレールから外れた私は、小中高と大学を含め、学校の友人と呼べる人は、周りからいなくなりました。
そして、通っていたゲームセンターの超常連となった先には、ゲームセンター内の同じ境遇?の仲間たちが待っていました。
このゲームセンターの仲間たちの年齢は様々で、私がかなり若い方であり、最年長には当時30過ぎの方も一緒になってコミュニティを形成していましたね。
不思議な気持ちでしたが、久しく忘れていた"友達"?という感覚に嬉しかったのも事実。
この仲間たちに混じりながら、相変わらず格闘ゲームに没頭する毎日。
仲間にいた車を所有している方と連れ立って、地元のゲームセンターから遠出して、『遠征』と銘打って、近隣エリアのゲームセンターを回ってもいました。
今考えると、人生を捨ててよくそこまで一つのゲームにハマったものだなぁと呆れを通り越して関心もしてしまいますね。
続く。
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私は、現在東京都某所でシステムエンジニアをして生計を立てております。
もちろん、ここで本名は、明かすことはできませんが、ここでは『あるす』と名乗っておきましょう。
実は、このあるすという名前の由来は、某格闘ゲームをゲームセンターでハマっていた時につけたリングネームです。
専用カードを登録することで、格闘ゲームの戦績をつけることができ、ネット登録もできる、当時は目新しいタイプでした。(もう最近では当たり前ですよね)
当時は、2000~2005年くらいの間でしょうか?(世代がバレますね笑)
もうほとんど毎日ゲームセンターに通い続け、意味もなく、格闘ゲームに明け暮れていたように思います。
初めは、学校の友人と一緒になって行っていましたが、友人たちがまた一人また一人と、歳を重ねるごとにゲームから卒業し、最後は学校の友人は誰もいなくなりました。
というか学校そのものを卒業していましたね。高校卒業は、なんの意味もなく大学に通いはじめます。
大学には、ただ"働きたくない"というだけで、大学に対する目的意識も全くなかったため、毎日通うことが本当にしんどくなり、徐々に休み始めます。
それでも入学してからはじめは学校の成績は良かったこともあり、学内の奨学金を頂いておりました。
嬉しい事に月2万円の返さなくても良いタイプの奨学金です。
ただ、それでもあまりにも大学に行く気がなくなり、1周間まるまる行かないことも出始めます。
こうなってしまうと、当然大学内では友人と呼べる人はいません。
なんでこんなことになってしまったんだろうと、自問自答を頭のなかで繰り返しながら、それでもゲームセンターに通い続けた私。
たぶん現実から逃避していたんだと思います。
バイトをするわけでもなく、毎日毎日大学に行く振りをしては、ゲームセンターや、コンビニで雑誌の立ち読み、中古本屋での漫画の立ち読みで過ごす日々。
親からは、交通費やお昼代など、なけなしのお金も貰っていました。
なんて親不孝者だったんだろうと、今思い返してみると、涙がでるほどです。
本当に情けないと言ったらありゃしないです。
そして、完全に世間の"通常の大学生"というレールから外れた私は、小中高と大学を含め、学校の友人と呼べる人は、周りからいなくなりました。
そして、通っていたゲームセンターの超常連となった先には、ゲームセンター内の同じ境遇?の仲間たちが待っていました。
このゲームセンターの仲間たちの年齢は様々で、私がかなり若い方であり、最年長には当時30過ぎの方も一緒になってコミュニティを形成していましたね。
不思議な気持ちでしたが、久しく忘れていた"友達"?という感覚に嬉しかったのも事実。
この仲間たちに混じりながら、相変わらず格闘ゲームに没頭する毎日。
仲間にいた車を所有している方と連れ立って、地元のゲームセンターから遠出して、『遠征』と銘打って、近隣エリアのゲームセンターを回ってもいました。
今考えると、人生を捨ててよくそこまで一つのゲームにハマったものだなぁと呆れを通り越して関心もしてしまいますね。
続く。
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2015-05-31 17:58
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