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私の自己紹介パート2

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さて、自己紹介の続きです。

私は、入学してから半年ほどで、ほとんど大学には行くことはなくなり、当然のことながらほとんどの履修授業の単位を落とし続けます。
ただ、通っていた大学は、2年生は単位の取得数に関係なく進級できることから、馬鹿なことにそれに安堵し、「まだまだ先だな」と思っていた私。
ただ留年危機が先延ばしになったに過ぎないのに…

なんで、あの時にちゃんと自分を見つめなおさなかったのか、自身のバカさ加減に腹が立つほどです。
結局のところ、もう先のことを考えることをやめた私は単位をほとんど取らずして、大学2年生を留年することになります。
このころには、いよいよ実家の経済状況が危機に陥ってもいたので、深夜のコンビニバイトや運送業者の仕分けバイト、お弁当工場でのバイトなどなどを始めています。
一応、稼いだそのお金を学費に充てていたのですが、もはや意味不明な行動ですよね。

朝:眠り
昼:ゲームセンターなどでウロウロ遊ぶ。
夜:バイト漬け

私は一体何をやっていたのだろうと、今になって思います。
貴重な10代~20代前半の青春のまっただ中を無駄に時間を消費し続けてしまいました。
これはある意味で贅沢をしていたとも言えます。もう二度と手に入らないような自由なときを使ったのですから。

そして、3年生の留年が決まった時にはじめて両親が私の惨状を知ることとなります。
もちろん激怒です。
ただ、そのときの私が思ったことは、
「それほど怒られなかったな」
でした。本当に最低です。

両親(特に父)は、どうやら自分自身が学歴コンプレックスということもあり、せっかく入った大学なのだから卒業してほしいという願いがあったようでした。
それもあり、割とあっさりと留年を認めてもらえました。
たぶんそれがなければ、大学を即自主退学していたでしょう。

このように安易に留年を認めてもらえた私の腐った性根は、変わりません。
はじめは心機一転、再び大学に通うものの、またすぐになにかを理由につけては遊び歩いてしまいます。
この時に大学があまりにもつまらなかったことだけは覚えています。
さらにこの時も当然のように2年連続して留年することになります。
さらにさらに悪いことにこの時は、留年したことを隠し、両親には「4年生になれた」と嘘をついてまで。
もはや後戻りできないほどに、どんどん私の性根は悪い方向へと突き進みます。

そして、当然のように次の年も留年します。ここで再び両親に留年がバレることになります。
もちろん両親には激怒されますが、私は「深夜にやっていたバイトが原因で大学に行けなった」と言い訳をしたら、なんとそれがあえなく通ってしまい、退学することなく、大学に在籍します。
よほど両親は私に期待をしていたのでしょうか。今思えば悲しすぎます。

そんなことを当時は考えもしなかった私は、さらに4度目の留年を迎えます。
これには、両親も超激怒するのでしょうが、どう考えてもこの逃げ場のない状況から脱するため、私の方から「もう退学したい」と、留年を怒られる間もないところで申し入れます。
これには両親も面食らったのか、「もう少しで卒業なんだから続けたらどうだ?」と激励してくるではないですか!
もうさすがに性根の曲がった私も嘘に嘘を重ねて、
「全く卒業の見込みがありません。実はまだ3年生なんです。」
なんて口が裂けても言えませんでした。

それで、ようやく正味6年間通った大学から退学(除籍)することになります。
この時の大学除籍理由は、どう考えても私のやる気の問題だったと思いますが、体裁をよくするため、「経済的理由」にしたことは覚えています。

またまた続く。


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